学歴ロンダリングと就活について1

学歴ロンダリングの経験者として、記事を書くことは学歴ロンダリングするかどうか悩んでいる人の役に立つだろうと思い書く

 

冷静に考えると、もともとこのブログは人に向かって書いていたり、自分に向けて書いていたりとりとめは無いのだが、記事が書ければ何でも良い。ようは自分の考えを文章という形にする過程で、まとめることが重要だと考えるからである。

 

(いちおう人に向けて書いているので)自分の自己紹介から書くと、私は東京都内偏差値50程度のFランク大学を卒業して、2011年4月に東京大学大学院 農学生命科学研究科に進学した。

 

なぜその選考を選んだかと言えば、彼女が志望していて、かつ受かりやすかったからとしか言いようがない。事実、併願として工学系研究科の社会基盤専攻(土木がメイン)も受けたが、こっちは全然ダメだった。研究自体に興味があるというよりは、東大ブランドの方が10倍は興味があった。

 

さて、今日はキャリア(就活)と学歴ロンダリングについて書きたい

 

キャリアについて

東大ブランドを手に入れれば一流企業への就職は余裕で、人生はバラ色になると考える人がいるが、実際はそのようなことはない。

 

エントリーシートに落ちる可能性はかなり減るが、一番重要なのは面接を通過することで、エントリーシートと異なり実際の頭の良さ+人柄がわかってしまうので、偽物の学歴を纏ってもそこでバレる。

というわけで学歴ロンダリング組には面接にはいけるけれど、面接が全然通過しない人がかなりいる。

とはいっても、入り口(面接)に立てるメリットだけで十分というなら、それで良いとも思う。事実、私が今の会社に入れたのはそのメリットを活かした結果であるから否定のしようもない。

ただ、就活については期待しているよりも大きなメリットはない、ということだけ述べたい。

 

一方デメリットとして、就活時に研究が進んでいないという点がある。殆どの人は4年生と研究テーマが変わるため、大学院入学後半年で外資の就活が直ぐに始まり、大学院生になる意味とも言える「研究」について話せることがないまま就活を行うことになる。

これは技術系で就職するにあたり、ハンデとなる面も大きい。

私の学部時代の同期は、京都大学の大学院に学歴ロンダリングしたが、技術系での就職お希望したため、半年の研究内容では全く話にならず、就職できなかった。

 

この辺りを考えて学歴ロンダリングするかどうかを考えるべきだろう。

 

 

 

 

彼女には振られるし俺はどうすれば良いんだ

8月の終戦記念日に6年付き合った彼女に振られた

 

同じFランク大学の同級生で、彼女が東大の大学院にロンダリングすると言ったから、俺もロンダリングに興味を持ったという経緯がある。

 

東大に行けば、何よりも彼女の側にいられるし

 

それまでは「とてもとても東大なんて無理無理笑」、という状態だったので、まさか自分が東大の大学院に入るとは夢にも思っていなかった。

 

東大大学院も入れればどこでも良かったから、彼女と同じ専攻にしたくらいだし、何より彼女第一で6年間生きてきた。

 

別れた日は会社を休みたかったけれど、どうしても休めない仕事があったからわざわざ休日出勤して、誰もいないオフィスで会社で泣きながら仕事をしていた。

 

結局今は外資コンサルティングファームで働いているが、そこそこうまく行っている。彼女には自分の人生を変えてくれたという感謝しかない

 

彼女に出会っていなければ、俺はFランク大学卒のまま中小企業に就職し、にっちもさっちもいかない人生を歩んでいただろう

 

だから感謝しかない

 

しかし寂しい、6年同棲して今更一人暮らしをするとこんなにも寂しいものかと実感する

 

みなはどうやって耐えているのだろうか・・・

 

もうまんが喫茶には行かない

今日は9~12時でバスケを行い、続けてジムで筋トレをした

 

ここまでは非常に時間の使い方も良く良かったが・・・速読の学校と会社のどちらかに行くか悩んで、なぜかまんが喫茶を選択したのは明らかな失敗だった

 

1時間で終えるはずが結局4時間半まんが喫茶に居座り、結局残ったものは黒子のバスケを半分以上読んだことくらいだ

 

最近は漫画自体に興味が減って来ているので(大人になるとそうなのだろうか?)、もうまんが喫茶に行くメリットも無いだろう

 

ゲームも18歳まではやりこんだけれど今はもうやらなくなった

どんなものにも卒業のタイミングというものはあるのだろう

 

というわけで漫画を読むためのまんが喫茶は本日をもって引退とする

日本や所属している会社が凄いのではなく「私が凄い」という考え方が良い

本屋に行くと日本礼賛本が並んでいる

本屋に行くと「日本はこんなにすごい」といった日本礼賛本を目にする機会が多い。

若しくは「中国・韓国は没落する」といった嫌中・嫌韓本を目にする。

 

そうやって日本を褒めることは別に問題ないが、「日本に所属している自分は凄い」と誇りを持つようになるとどうもカッコよくない場合がある。

なぜカッコよくないと思うかというと、たまたま日本に生まれただけで特に日本に貢献していない人がそういっているように感じるからだろう。

 

親が凄いことと自分が凄いことは別の話

「自分の親は凄い」と自慢げに言う子供がいるとする。これは「自分の親は凄い、だからその子供の自分も凄い」という理屈だ。

これに対して常々感じていたのは、「それは親が凄いだけで、君はどうなの?」という思いだ。事実、自分に自信がないから親の威厳を借りていたのだろう。能力に対してプライドが高い人がそうなる傾向があると思われる。プライドに対して足りない能力は親の力を借りることで補っているのだろう。

 

自分に自信がない人は組織の凄さに縋る

これは国家に限らず、全ての組織に当てはまる。大学という組織でいえば、「東大卒という肩書に拘るのは、東大を出たことしか誇ることがない底辺の東大生」という意見も聞いたことがある。この例では「親が凄い」ことよりは自分が凄いことに関係があると思うが、上手くいっていない現状を誤魔化すために過去の栄光に縋っているところがカッコよくない。

 

同じようにどうも、上記の本を見ると「日本が凄い」事に縋っている風に感じることがある。

本当に自分に自信がある人は素直に、「俺は~ができるから凄い」と言うし、そういう人は素直に尊敬できる。そのため、そういう人になりたいと私自信思っている。

 

「世界を変えたいのなら、まず自分が変わりなさい」

ガンジーはそういった。これは、先ほどの話とも関連して、無理して高いプライド(目標)を持つより、まず自分(足元)を見ましょうとらえている。

 

日本や所属している会社が凄いのではなく、「私が凄い」と思えるように奢らず足元を見て日々努力していきたい。

 

 

将来残る仕事は「保険」と「娯楽」しかない。

昔角田さんに聞いたが、「ジャック・アタリ」は、将来全ての問題(病気など))解決したとき、二つの産業しか残らないといった。

保険と娯楽(エンターテイメント)の二つである。


産業(ビジネス)はあるニーズを満たすことでお金を得るが、病気等が解決されたとき、漠然と残る現在の不安と将来の不安の二つしか残らなくなる。
保険の本質は将来の不安をなくすもの、娯楽は現在の不安を忘れさせるものである。

私自身は人間の漠然とした不安はなくならないと考えており、人間は100%死ぬという事実が必ず不安を起こさせるものだと考える。
人間は死ぬ理由については、個人的に一向したい。
話は全然それるが、しょせん雑記帳なのでご理解いただきたい

 

なぜ人間は死ぬのか、生物学的な観点からの考察

この疑問は下記の問いに入れ替えることができるだろう。
「生物としての人間の目的を達成ために、死なない場合と死ぬ場合のどちらが効率的か」
生物のしての人間の目的は、種として生き続けることだ。
生物というのは、存続することが目的であって、それ以外の目的はないと思う。

それならば、生物としてではなく、人間固有の目的はあるだろうか?
「文明を発展させるため」とするのは、種としての存続を可能にするための手段であって、目的はないという意見がある。
個人的には、文明を発展させたその先の「究極的なもの」を作るために人間はいる、という遠藤周作の小説の一文が非常に好んでいるし、
そうあって欲しいと思っている。
その考えで行くと、「文明を発展させて、最後究極的なもの」を作るため、というのは人間という主としては目的となる。
しかし、今回は生物としての考察なので、こちらは今後の考察としたい。


「死ぬ」ことによって、生物は何を行うか?
それは「子孫を残す」という行為だろう。
自分は永遠に生きられない、そして種として永遠に存続しないといけない、そうすると自分の遺伝子を継いだ子孫を作る必要がある。
かつ、より強い子孫を作るためには遺伝子の多様性を上げる望ましいため、男性と女性を作った。


「死ぬ」ことによって思考停止から逃れることができる
「死ぬ」という前提は、人間に「思考」を促す。試験などで期限が近づきあわてて勉強し始めた経験は誰にでもあると思うが、
死ぬこともそれに当てはまるだろう。限りある時間だからこそ有意義に使うことを考える。
文明を発展させるためには、「人間は必ず死ぬ」という性質は貢献しているだろう。

人間不安はなくならない
「人間は必ず死ぬ」、かつ「死後の世界はわからない」。それは常に人間に不安を与えることを意味する。
わからないことが最も怖いからだ。

そのため、ジャックアタリは最後に残る仕事(永遠に残る仕事)は「不安をなくす」

仕事だと言っていたと推測する。

その不安を分析するフレームワークとして、「現在」と「未来」の両方について述べているのだろう。

 

 

どうすれば時間あたりの密度が高くなるか

メモ

 

・ストップウォッチで常に時間を図る

・出来る限り頭をつかう作業をする(ちきりん的には、1日4時間まで)

・時間あたりのアウトプットを明確にする

・重要だけれど緊急ではない仕事をいつでも用意しておく(細切れ時間の利用)

・未来を想像する(なんとなく未来を想像すると楽しみだよね!!)

・オーディオブックとかつかう

 

 

 

 

 

 

 

速読

今日は、整体、クリエイト、読書2冊、これからギターの練習?

 

ロジカルシンキング

ロジカルシンキング系の本を二冊程度呼んだけれど、概要が分かった程度。ロジカルシンキング実学と書いてあったため、実際に使用しなければわからないだろう。そのため、実際に使用できる仕事(環境)に行くためにはどうしたら良いのか考える必要がある。

 

【速読】

速読については、

 

MBA

MBAは決断の方法を学ぶ場所であるという記事があった。コンサルの役割もそれで、仮に実行しないという決断をするなら、それはそれでひとつの回答であり、実行してもしなくても決断を促したことになる。

それがコンサルの役割だろう。

 

【喫茶店での仕事について】

喫茶店の一番のメリットは、ネットサーフィンをしないことだろう。確かにその通りで、ネットサーフィンは幅広い知識を知ることができるが、深い思考には向かない。つまり、ネットサーフィンは水平思考で、深堀は垂直思考ということ。今後の事を考えると、ファクトを集めるコストは大きく低下したので、水平的に学ぶことは、あまり意味が無いように思える。また、アウトプットを明確にしないと、情報に溺れるため、仮説を立てて情報を探すことが必要だろう。仮説と実測値の乖離にこそ、あたらな気付きがあるというのは、大学院で学んだ知識の中でも最も重要なものだろう。

 というわけで、喫茶店で勉強するのがよいかもしれない、

 

【その他】

僕は1日10時間程度働いて、帰ってからも本を読んで、土日も速読をしている。冷静に考えたら、こんなに頑張る必要はあるんだろうか。みんなもこのように過ごしているんだろうか少し気になった。もちろん自分でこの行き方を選んでいるのは間違いがないのだが、高校時代とかを考えると、夜は自由に過ごしていたし、部活に全力を尽くすと言っても、せいぜい1日3時間だし、時間あたりの密度を濃くしていきたい