ニーチェは「タワーマンションに住むべき」と言った

ニーチェの言葉から、「都市に住む人はタワーマンションに住むべき」という結論に達した。以下はその考察になる。
 
【考えたキッカケ】
私は帰る家が二つある。府中の方にある父親の持ち家と、文京区にあるシェアハウスの二つだ。
多摩の家には学部時代より一人暮らしをしており、正味8年にもなる。固定資産税と水道光熱は父親が支払っているため、ただで住んでいる。大学院までは金がかからず良かったが、社会人になるとdoor to doorで1,5h程度かかり、非常に辛い。ITコンサルティングはそこそこ忙しいので、終電帰りもザラだし、朝1000には出社しないと行けない。といった背景から多摩の家から通うことは不可能と判断し、セカンドハウスとしてシェアハウスを借りることにした。セカンドハウスと行っても月の98%はシェアハウスにいるため、もはやどっちがセカンドハウスかわからなくなってしまった。
 
時々届く郵便物の受け取りや、家のメンテナンス(とはいっても水を流し、窓を空けて喚起をするだけだが)のために、月に一度は家に帰るようにしている。
 
先ほど帰ったとこと、ニーチェの本があったため、郵便物の再送が届くまでの時間読むことにした。
ここまでは前段であり、以下が本文になる。
 
【心に残った言葉】
・人間が自然を好むのは、水平線や地平線といった確固たる線を見ることを好むため。それらは単なる見慣れた風景に過ぎないかもしれない。けれどもその風景の中にあるしっかりと安定した線が、人間の内面に落
ち着きや充足、安堵や深い信頼というものを与えてくれる。誰でも本能的にそのことを知っているため、窓からの風景を重視し、セカンドハウスを選択する
 
今日はこの言葉をテーマに物事を考えたい。
 
【人間は絶対的な価値観を好む】
 絶対的な価値観の定義について厳密には知らないが、私は「誰もが特定の事実を一意的に解釈できる価値観」のことと考えている。対義語は「相対的価値観」だとは思うが、これは「特定の事実に対して人によって良い悪いが分かれる価値観」だと認識している。
 
一番身近な例について述べる。今の世界を支配している「資本主義」では、絶対的な価値観は金銭だろう。上記の定義に合わせると「お金が多いことは素晴らしい」ということは誰もが同意できる。若しくは価値観は、物事の解釈のこととも言える。転職して給料が上がることは資本主義的には正しい、となるが資本主義以前の社会では正しいとは言えない可能性がある。
 
19世紀までの西欧では絶対的な価値はキリスト教道徳であった。つまり、より信仰に従うほど正しいと判断される。この価値観によると転職しても信仰に従わない仕事を選択した場合は、給料が上がっても正しくないということになる。ポイントは少人数ではなく大多数の人で共有できることだろう。
 
【神は死んだ】
19世紀までの絶対的な価値観=神とすると、20世紀は絶対的な価値観=金銭に切り替わった時代と言える。
神はあくまでの絶対的な価値観の対象のであって、神という概念が20世紀になって切り替わった時、神は金銭にとって変わられて存在意義を失い「神は死んだと」言える。とろくに読んでもいないニーチェの最も有名な言葉を勝手に解釈したが、あっているのだろうか・・・
 
【なぜ人は絶対的な価値観を好むのか】
 絶対的な価値に従うことは非常に楽な生き方だからだろう。楽ということは省エネでもあり、責任が無いともいえる。
例えば、何か問題が起きても「信じていたのに酷い」と自分の悲劇のヒロインのようにすれば救われるし、「何が正しいのか」考えることはかなりエネルギーを使うため、省エネでもある。簡単にいうと盲信とも言える。権威も同じ理屈であり、凄い人(社長とか)が言っていたから自分では何も考えずに信じることも同じと言える。
 「親が望むレールをあるいたから俺の人生は台無しになった」と言って、自分で何も考えずに親の示した道を進み、たどり着いてみると自分が望んでいた道ではないことに気づくこともある。そのとき、何も考えなかった自分を責めず、自分の純粋さを武器に無垢な自分は何も悪くなかったと全てを親のせいにすることもその例と言えるだろう。
 
18世紀頃、キリスト教に盲信して進歩が無い世の中を憂いて、全ての人が「何が正しいのか」考えるようにするというのが、啓蒙思想な気がする。(本当だろうか?)
とはいっても、本能的に人は絶対的なものを必要とすると思う。どうしても宗教・主義を基準に頼ることになるのだろう。
 
【人は都市に住むと心が安定しないのでは】
ニーチェは絶対的なものを人間は風景に求めることができると述べている。厳密には「安定した物」と述べているが、私は安定的=絶対的な物を解釈を行い、同列に扱うことにした。そうすると、いつまでも変化しないものを見ると心が落ち着くということになる。変化しない物と言えば、水平線・地平線・山・川などであるが、勿論厳密に言えば整備することで変化する。変化するものは都市だろう。ビルはどんどん経つし、土地開発も盛んだ。そうすると、都市に住むと人は本能的には心が安定しないことになる。
ただし、湾岸部のタワーマンションから東京湾の水平線を見ると、落ち着くかもしれない。だから金持ちになったら水平線が見えるタワーマンションに住みたいと思った。
 
【まとめ】
以上の考察から考えると、心が安定しながら東京にするためには、シェアハウスで貧しい暮らしをせずに、金持ちになって水平線が見えるタワーマンションに住むべきである。
 
ニーチェからの考察から、結論がまとまって良かった・・・
 
 

Moocを始めました

今日は2日連続記事を書く。

 

最近moocに着目している。mookについて知らない人は以下の記事を参考にしていただきたい。

 

wired.jp

 

ひとつ前のブログで2016年の目標として「moocで10コース受講する」と掲げたが、これに力を入れたいと考えている。

 

なぜmoocに着目したのか

moocに着目したキッカケとしては、courseaのメールマガジンに「human & art」を扱っているという書いてあったからである。Moocについては、プログラミング等が多い印象であったけれど、それはただの固定概念で、最近は人文科学系も増えているらしい(上記のリンク記事を参照)。

 

私がそのように勘違いした理由としても最初に利用したmoocがUdacityというプログラミングがメインのmoocを利用したことが原因である。

夏に始める無料のオンライン学習:6つの「MOOC」を比較する « WIRED.jp

 

またmoocはもともとシリコン・バレー発祥という認識もあったため、プログラミングの授業がメインというところに納得感もあり、深く調査しないままでいたのは、一つの反省点であるともいえる。

 

私は学部時代は理系であったが、大学院では文系の研究、主にグローバル・ヒストリーの研究に従事していた。そのため、今回courseaで下記の様な人文科学系の中でもグローバル・ヒストリーを扱っているヴァージニア大学の授業が有ったと知り、興奮している。思わず1月2日から実家で見てしまった。

https://www.coursera.org/learn/modern-world/home/welcome

 

moocで身につけたいこと

moocを通して二つのことを身に着けたい

・英語力

・幅広い知識

 

現在の仕事でも英語が求められる状況が増えているため、moocを通して英語力を身につけたいと考えている。さらに自分が興味がある知識を身につけられれば一石二鳥というわけだ。私のやり方としては、英語字幕をつけてシャドウイングを行う形だ。英語字幕があれば正直なんとか理解できるし、授業の質としては正直面白い。(ピンキリはあるらしいが)

 

この記事を読んでいる皆様も是非moocで自分が興味がある授業を受けつつ、英語を勉強してみたらどうだろうか?私としてはmoocの中でも幅広い授業があるcourseaがオススメだが、自分にあったものを探してみて欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年の目標

ブログを書くとなると誰かに見せるためという意識があったが、そんなことは気にしないことにした。見たい人は勝手に見れば良いという気持ちで書いたほうより面白い記事が書けるような気がする、という言い訳を考えた。

 

さて、ここからが本題。2016年になって二日目となるが、山梨の実家で今年の目標を考えた。目標を考える時のフレームワークとしては、目標→手法→KPI→モチベーション維持の手法の4つを明確にすることが必要だと思う。

この方法は僕のオリジナルではあるが、そこそこ使いやすいように思うので、是非誰かに使って欲しい。注意点として、フレームワークを使っていて直ぐに突き当たるのが、レベルを統一することだろう。例えば「目標」の段階も大目標→中目標→小目標といった階層構造になる可能性が高い。

例えば、下記のケースがあるだろう。

 

大目標:かっこ良い男になる

 中目標:センスが良い

  小目標:服装がオシャレ

  小目標:音楽に詳しい

 中目標:仕事が出来る

  小目標:ロジカルシンキングができる

  小目標:ディスカッションが上手い

 

上記のように階層構造になることも多いと思う。むしろ、目標をブレークダウンできる形の方がより具体的で、今後改善していく際に改良しやすいため望ましい。是非階層構造にしていただきたい。

もっと掘り下げていくことも可能ではあるし、大目標が複数になる場合もあるが、そこは各個人が自由に改良していくべきだろう。

さて「目標」の注意点に続いて、「手法」についても述べたいが、ここまで書いてだんだんめんどくさくなってきた。

というわけで全てを投げ捨てて目標を適当に羅列することにする。自分で主張した階層構造ですらないのだが、はてなブログでは階層構造の記述が非常にめんどくさいため、書き気持ちが萎えてしまった。羅列ではただの忘備録にしかならないだろうが、しょせん自分に書いている記事だ。

 

・moocで10コース終わらせる(一ヶ月に一つくらい)

・ファッションセンスを磨く

・カラオケで90点(精密採点DX)を出せるようにする

・バスケを始める(運動不足だし)

・筋トレをする(ベンチプレスで90キロを上げる)

・絵をうまく書けるようにする(センスがないのです)

・会社とは別に新たにサービスを始める(今年29歳になるから何かを始めたい)

・睡眠時間を確保する(大切な目標です)

・シェアハウスを出る(そこそこ給料をもらっている割には貧乏性でして)

 

まだまだありそうだけととりあえずこんなもんで

 

 

学歴ロンダリングと就活について1

学歴ロンダリングの経験者として、記事を書くことは学歴ロンダリングするかどうか悩んでいる人の役に立つだろうと思い書く

 

冷静に考えると、もともとこのブログは人に向かって書いていたり、自分に向けて書いていたりとりとめは無いのだが、記事が書ければ何でも良い。ようは自分の考えを文章という形にする過程で、まとめることが重要だと考えるからである。

 

(いちおう人に向けて書いているので)自分の自己紹介から書くと、私は東京都内偏差値50程度のFランク大学を卒業して、2011年4月に東京大学大学院 農学生命科学研究科に進学した。

 

なぜその選考を選んだかと言えば、彼女が志望していて、かつ受かりやすかったからとしか言いようがない。事実、併願として工学系研究科の社会基盤専攻(土木がメイン)も受けたが、こっちは全然ダメだった。研究自体に興味があるというよりは、東大ブランドの方が10倍は興味があった。

 

さて、今日はキャリア(就活)と学歴ロンダリングについて書きたい

 

キャリアについて

東大ブランドを手に入れれば一流企業への就職は余裕で、人生はバラ色になると考える人がいるが、実際はそのようなことはない。

 

エントリーシートに落ちる可能性はかなり減るが、一番重要なのは面接を通過することで、エントリーシートと異なり実際の頭の良さ+人柄がわかってしまうので、偽物の学歴を纏ってもそこでバレる。

というわけで学歴ロンダリング組には面接にはいけるけれど、面接が全然通過しない人がかなりいる。

とはいっても、入り口(面接)に立てるメリットだけで十分というなら、それで良いとも思う。事実、私が今の会社に入れたのはそのメリットを活かした結果であるから否定のしようもない。

ただ、就活については期待しているよりも大きなメリットはない、ということだけ述べたい。

 

一方デメリットとして、就活時に研究が進んでいないという点がある。殆どの人は4年生と研究テーマが変わるため、大学院入学後半年で外資の就活が直ぐに始まり、大学院生になる意味とも言える「研究」について話せることがないまま就活を行うことになる。

これは技術系で就職するにあたり、ハンデとなる面も大きい。

私の学部時代の同期は、京都大学の大学院に学歴ロンダリングしたが、技術系での就職お希望したため、半年の研究内容では全く話にならず、就職できなかった。

 

この辺りを考えて学歴ロンダリングするかどうかを考えるべきだろう。

 

 

 

 

彼女には振られるし俺はどうすれば良いんだ

8月の終戦記念日に6年付き合った彼女に振られた

 

同じFランク大学の同級生で、彼女が東大の大学院にロンダリングすると言ったから、俺もロンダリングに興味を持ったという経緯がある。

 

東大に行けば、何よりも彼女の側にいられるし

 

それまでは「とてもとても東大なんて無理無理笑」、という状態だったので、まさか自分が東大の大学院に入るとは夢にも思っていなかった。

 

東大大学院も入れればどこでも良かったから、彼女と同じ専攻にしたくらいだし、何より彼女第一で6年間生きてきた。

 

別れた日は会社を休みたかったけれど、どうしても休めない仕事があったからわざわざ休日出勤して、誰もいないオフィスで会社で泣きながら仕事をしていた。

 

結局今は外資コンサルティングファームで働いているが、そこそこうまく行っている。彼女には自分の人生を変えてくれたという感謝しかない

 

彼女に出会っていなければ、俺はFランク大学卒のまま中小企業に就職し、にっちもさっちもいかない人生を歩んでいただろう

 

だから感謝しかない

 

しかし寂しい、6年同棲して今更一人暮らしをするとこんなにも寂しいものかと実感する

 

みなはどうやって耐えているのだろうか・・・

 

もうまんが喫茶には行かない

今日は9~12時でバスケを行い、続けてジムで筋トレをした

 

ここまでは非常に時間の使い方も良く良かったが・・・速読の学校と会社のどちらかに行くか悩んで、なぜかまんが喫茶を選択したのは明らかな失敗だった

 

1時間で終えるはずが結局4時間半まんが喫茶に居座り、結局残ったものは黒子のバスケを半分以上読んだことくらいだ

 

最近は漫画自体に興味が減って来ているので(大人になるとそうなのだろうか?)、もうまんが喫茶に行くメリットも無いだろう

 

ゲームも18歳まではやりこんだけれど今はもうやらなくなった

どんなものにも卒業のタイミングというものはあるのだろう

 

というわけで漫画を読むためのまんが喫茶は本日をもって引退とする

日本や所属している会社が凄いのではなく「私が凄い」という考え方が良い

本屋に行くと日本礼賛本が並んでいる

本屋に行くと「日本はこんなにすごい」といった日本礼賛本を目にする機会が多い。

若しくは「中国・韓国は没落する」といった嫌中・嫌韓本を目にする。

 

そうやって日本を褒めることは別に問題ないが、「日本に所属している自分は凄い」と誇りを持つようになるとどうもカッコよくない場合がある。

なぜカッコよくないと思うかというと、たまたま日本に生まれただけで特に日本に貢献していない人がそういっているように感じるからだろう。

 

親が凄いことと自分が凄いことは別の話

「自分の親は凄い」と自慢げに言う子供がいるとする。これは「自分の親は凄い、だからその子供の自分も凄い」という理屈だ。

これに対して常々感じていたのは、「それは親が凄いだけで、君はどうなの?」という思いだ。事実、自分に自信がないから親の威厳を借りていたのだろう。能力に対してプライドが高い人がそうなる傾向があると思われる。プライドに対して足りない能力は親の力を借りることで補っているのだろう。

 

自分に自信がない人は組織の凄さに縋る

これは国家に限らず、全ての組織に当てはまる。大学という組織でいえば、「東大卒という肩書に拘るのは、東大を出たことしか誇ることがない底辺の東大生」という意見も聞いたことがある。この例では「親が凄い」ことよりは自分が凄いことに関係があると思うが、上手くいっていない現状を誤魔化すために過去の栄光に縋っているところがカッコよくない。

 

同じようにどうも、上記の本を見ると「日本が凄い」事に縋っている風に感じることがある。

本当に自分に自信がある人は素直に、「俺は~ができるから凄い」と言うし、そういう人は素直に尊敬できる。そのため、そういう人になりたいと私自信思っている。

 

「世界を変えたいのなら、まず自分が変わりなさい」

ガンジーはそういった。これは、先ほどの話とも関連して、無理して高いプライド(目標)を持つより、まず自分(足元)を見ましょうとらえている。

 

日本や所属している会社が凄いのではなく、「私が凄い」と思えるように奢らず足元を見て日々努力していきたい。