読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日本や所属している会社が凄いのではなく「私が凄い」という考え方が良い

本屋に行くと日本礼賛本が並んでいる

本屋に行くと「日本はこんなにすごい」といった日本礼賛本を目にする機会が多い。

若しくは「中国・韓国は没落する」といった嫌中・嫌韓本を目にする。

 

そうやって日本を褒めることは別に問題ないが、「日本に所属している自分は凄い」と誇りを持つようになるとどうもカッコよくない場合がある。

なぜカッコよくないと思うかというと、たまたま日本に生まれただけで特に日本に貢献していない人がそういっているように感じるからだろう。

 

親が凄いことと自分が凄いことは別の話

「自分の親は凄い」と自慢げに言う子供がいるとする。これは「自分の親は凄い、だからその子供の自分も凄い」という理屈だ。

これに対して常々感じていたのは、「それは親が凄いだけで、君はどうなの?」という思いだ。事実、自分に自信がないから親の威厳を借りていたのだろう。能力に対してプライドが高い人がそうなる傾向があると思われる。プライドに対して足りない能力は親の力を借りることで補っているのだろう。

 

自分に自信がない人は組織の凄さに縋る

これは国家に限らず、全ての組織に当てはまる。大学という組織でいえば、「東大卒という肩書に拘るのは、東大を出たことしか誇ることがない底辺の東大生」という意見も聞いたことがある。この例では「親が凄い」ことよりは自分が凄いことに関係があると思うが、上手くいっていない現状を誤魔化すために過去の栄光に縋っているところがカッコよくない。

 

同じようにどうも、上記の本を見ると「日本が凄い」事に縋っている風に感じることがある。

本当に自分に自信がある人は素直に、「俺は~ができるから凄い」と言うし、そういう人は素直に尊敬できる。そのため、そういう人になりたいと私自信思っている。

 

「世界を変えたいのなら、まず自分が変わりなさい」

ガンジーはそういった。これは、先ほどの話とも関連して、無理して高いプライド(目標)を持つより、まず自分(足元)を見ましょうとらえている。

 

日本や所属している会社が凄いのではなく、「私が凄い」と思えるように奢らず足元を見て日々努力していきたい。