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科学は未来を予想するためにある

今回の趣旨は、科学は未来を予想するためにある、ということの一考察です。

 

【人は未来を予想したがる】

 古来より人間は未来を予想したいと望んでいた。古代であれば天候によって収穫量が増減することは直接生死と関連するため、最も重要な関心事の一つと言えただろう。天候の他には戦争が簡単に思いつく、これは戦争をしたら勝てるかどうか、もしくは戦争をしかけられるかどうか、と言ったことが関心事になる。

 ざっくりと二つをカテゴリー分けすると、天候については自然科学とし、戦争は社会科学と分けることができると考える。この二つは人間がコントロールできるかどうか、という点で区別をした。また現代においては株価の予想などは、誰もが欲しがっている情報と言え、未来の情報は今も輝きを失っていない人類の永遠のテーマである。

 

【全ての自然科学は未来を予想するためにある】

自然科学の定義はコトバンクより下記の通り引用する。

https://kotobank.jp/word/自然科学-73562

自然現象を対象とする科学。自然界において本質的に重要な現象を見出し,現象の把握に有効な概念を確立し,現象を支配する法則を発見する。これにより多様な自然現象間の相互関連を明らかにし,また未発見の事物や現象を予言する。

 

ここでポイントとなのは予言と明確に書いてあることで、予言は未来を予想することである。しかし、ここでの予言は社会に活用という意味を含んでおらず、より現象を支配する法則を見つけるために活用するという意味である。

 私自身は自然科学の意義は現象を支配する法則を発見し、定理を応用して実社会に活用えきるようにすることにあると考える。例えば流体力学ナビエ・ストークス方程式は 飛行機の設計に利用されるし、熱化学に関連する諸々の定理は発電所等の各種工場の設計に活用される。

 なぜ定理が必要かというと、定義はより本質的なルール(法則)であり、応用が効きやすいためである。より具体的にいうと、定理とはinputに対するoutputを数値で表現するだと考える。ここでは数値というのが非常重要で、数値は言語を問わないためより多くの人を同じ土俵で議論させることが出来るという点でスケールしやすいためである。近年イノベーションはどうやったら起きるか、と言った議論が盛んではあるが、シンプルに考えればより多くの多様性に富んだ優秀な人を一つの場所に囲い込めば起きる可能性が高くなる。事例としてはルネサンス時代のイタリア、現在のシリコン・バレーが言えるだろう。数値ベースの議論は言語を問わないため、①より多く人を巻き込むことが出来る、②最適解(正解)を出すことが出来る、③再現性を出しやすい、という点で優れている。

 一方、定理は数値で示さない方法もある、例えば万有引力の法則は言語では「全ての物体は互いに引き合う」となる。しかし公式(数値)で示すことによりメリットを受けやすいだろう。自然科学は基本的に数式で表しており、 数値で占めるメリットを受け、技術の発展に寄与したといえる。

 

 定理と未来予測の関係では、③の再現性が最も重要で、inputに対するoutputが明確になっている=未来を予想することができるといえる。inputが温度50度の水であればoutputの水はどれくらいで、仕事量はどれだけ抽出できるかといったぐらいに予想は可能である。これが社会の発展に寄与していることに異論を挙げる人はいないだろう。 

 

【社会科学は未来予想ではないの?】

 社会科学については未来を予想しないものもあるかもしれない。正直文学と未来予想には関連が見えないが、より本質的な物事を明らかにするということは全ての科学に共有である。と考えると、社会科学も未来予想に役に立つといえる、ただし数値である必要性が低いため、応用は効きにくいと判断している。しかし社会科学的な出来事を統計的な手法等により数値化する動きはあり、進んで欲しいとは思っている。

 これについてはまた別途記事を書きたい。