感謝ではなく称賛のほうが嬉しいことに気がついた

 妻は感謝をとても大切する。具体的には「ありがとう」とちゃんといえる人だ。これ自体はとても良いものだと思う。だけど思うところが2つあった。

 

①こちらがそこまで求めていないことに対してサポートして、こちらに感謝を求めるのは感謝の要求になる

 誰かにサポートをされたら何でも感謝しなければ行けないのだろうか?これはNoだ。例えば犬を飼っていて、散歩は必要だと思っていないのに、誰かが勝手に犬の散歩に連れていった場合、相手の善意に感謝をする必要はないだろう。感謝というのは、本当に助かったと実感する場合にやることであり、こちらが助かっていないのに感謝を求めるのは違う。

 ここで難しいのは程度問題ということだ。洗濯物を例にしよう。僕は一日くらい洗わなくても良いと思っている。彼女は毎日洗うべきと思っている。なので、僕が放置していたら彼女は洗った。この時僕は必要性が無いと思っていることに感謝をするべきだろうか?犬の散歩の例と同じであれば、感謝する必要はない。だけど、悩むところだろう。ここに問題が発生する余地がある。お互いの前提を理解しないと食い違ってしまう。

 僕は別に全くありがたいと思っていないのだが、相手が善意でやっているので、形ばかりの「ありがとう」を言う日々が続き、「ありがとう」の押し売りというか無理やり言わされている感が強く疲れる。

 

②感謝より称賛のほうが嬉しい

 「ありがとう」と「凄い!」では言われた時の嬉しさが違う。どちらを好むかというと、僕は「凄い!」の方が嬉しい。つまり感謝より称賛の方が嬉しい。ここの違いはどこから生まれるのか?

 「ありがとう」には「私も同じことができるけど代わりにやってくれてありがとう」というニュアンスが含まれる余地がある(必ずしもそうではない)。だけど「凄い!」には「私にはできないことをできている」というニュアンスが必ず含まれる点が大きく違う。

 これは男性と女性の違いかもしれないが、男性は称賛からの承認欲求や自尊心を満たすことを求める傾向にあると思う。僕の妻はとても育ちがよく感謝をしてくれる。だけど称賛をすることはめったに無い。僕の自尊心や承認欲求は満たされず、なにか満たされない日々が続いている。