「堤清二 罪と業」を読んで

 「大宅壮一ノンフィクション賞」が面白いと思ったので、「堤清二 罪と業」に手を出した。

https://www.amazon.co.jp/堤清二-罪と業-最後の「告白」-児玉-博/dp/4163904948

 

 もともと堤康次郎堤義明の二名については父から聞いたことがあった。没落旧華の土地を安く買い叩いて材を築いたことと、帝王学を学んだ記憶だった。読んでみると、真珠やマスコミなどいろいろなビジネスに取り組んだが失敗しつつ、どうにか土地ビジネスで当てたとのことで、意外と泥臭かった。

 

 人は常に過去を礼賛する

 得に感慨深いのは、祖父の土地を売って東京に出た時に、あとには引けない、先祖代々の土地を売ったことを申し訳なく思い成功しなければならないという思いを強くした点だった。そして、国家に対して貢献したい思いが強かったこと、しかし戦後は国家奉仕が弱くなり、ただの地主に成り下がったとこき下ろしていた。

筆者は日清・日露戦争を経験した世代は違うと述べており、国家の勃興を知っているためバイタリティがあると言っていた。これについては、秋山真之も兄の好古について「自分は新時代の人だから・・・」と卑下するようなことを言っており、江戸生まれの兄を尊敬していた。また戦争を知っている世代として堤清二は戦後の人に同様のことを言われただろう。ではあるので、時代時代に昔日の時代を尊敬する傾向はあるのだと思う。僕の両親は、戦後の貧しい時代を知っている団塊の世代は強いと評価しており、きっと僕も同じことを言うようになるのだろう。

 人間はいつだって過去の輝かしい時代と礼賛し憧れるのはミッドナイト・イン・パリという映画のメインテーマとなっており、非常にオススメな映画である。

 

以下気になった言葉

・人間はその責任感いかんによって、その人物の評価が決まるのだと、堤は常々言っていた。

・明治時代は成熟期を迎え、立身出世への登竜門が官界、学会から、経済界へと移りゆくじだいでもった。経済こそが社会を動かすとされ始めたとき、康次郎は祖父の田畑を売った資金を握りしめ、東京に出てきたのである。

・康次郎が生きた時代は、日本はまだ見ぬ、”坂の上の雲”を目指してひた走った時代だった。康次郎の生き方もそれは途方も無い失敗の連続であり、一人の人間が生きるのはありあまる一変の物語、冒険談だったように思える。一つの制度、一つの秩序が日本を、社会全体を包むにはまだ早く、社会はまだ混沌としていた。その無秩序こそが康次郎にチャンスを与え続けた。その意味において、康次郎は紛れもなくベンチャー起業家だった。

・それでもやっぱり父がね、命がけで守ろうとしたものを子供としては守ってやりたいと思うものなんです。父が命をかけたんですよ。なんだかんだと、批判はされました、罵倒もされました。本当に色んなことを言われたけれど、父は命をかけたんですよ。それを息子は守ってやりたいと思うんですよ。