【書評】風姿花伝・花鏡

前回のブログに続き、能についての本を読んでいる。そもそも本を読むより、一回本物を見たほうが早いという意見があり、それには僕も同意だが、今回読む本は古典であり能に限らず有益と思うため読むことにした。これ以上の能に関する本読むよりは、一回本物を見てから読んだ本が理解が進むだろうから、見てからにしたい。ちなみに、能を探すときな"The nou.com"が良いらしい。海外からのアクセスが3割を超えているとのことだ。

http://www.the-noh.com/jp/schedule/kanto/2018/08/

 

さて今回読んだ本はこちらだ

https://www.amazon.co.jp/風姿花伝・花鏡-タチバナ教養文庫-世阿弥/dp/4813324177/ref=sr_1_5?s=books&ie=UTF8&qid=1532825963&sr=1-5&keywords=風姿花伝

 

能をより洗練とさせた世阿弥が一子相伝の教えとして残した書だ。実際には、自分の子供と養子の二名に教えたから一子ではないらしい。養子の方?が大和4座の金春流につながるらしい。

さて本には世阿弥が40歳までに学んだことをまとめた風姿花伝がメインとなる。これは父である観阿弥の教えが主になるらしい。加えて、能の作り方をまとめた能作書、40歳以降の考えをまとめた60歳に書いた花鏡("かきょう"とも"はなかがみ"とも読むらしい)から構成される。今回まとめて読んだのでまとめて感想を書きたい。

 

前置き

色々な名言が今でも伝えられているが、有名な言葉でいえば「秘すれば花なり」だろう。世阿弥の主張は一貫しており、能にとっては「花」が最も大切であり、もう一点あるとするならば優美(幽玄)と理解した。世阿弥の言う「花」は一つの言葉では説明しきれないもの、「妙」という言葉が本文に出てくるが妙は「形のないもの」という意味で使用されており、正に花も「妙」に入るだろう。形の無いものは抽象的であるといえ、写実的でなく、より普遍的であるという能の考えに即していると思う。普遍的であるということは古臭くならないということであり、写実的な歌舞伎は古臭くなるのに対し、能は古臭くならないといえる。能が観念的(抽象的)であるからこそわかりにくく普遍的であるため、古臭くならずいつまでも愛される。このことは以前読んだ「能」にも書いてあり、抽象的であるが、演劇である以上写実的にならざる負えない、という所が面白い点なのかもしれない。

そうすると、幻想的であることがポイントになるのではないだろうか。幻想的とは広辞苑では下記通り記載されている

・現実から離れて、まぼろしの世界を夢見ているようなさま。

ここまで書いておいて何だが、能は幻を扱うのではなく、普遍的な本質を扱うので、違うかもしれない。

 

コンサルティングへの参考になる

全体として、コンサルタントの考えと一致している部分が合って驚いた。例えば下記が挙げられる

・客のレベルを考えて構成を考える

・期待値を下げて少し超えていく(秘すれば花なり)

・自分が作った能 (マテリアル)でなければ全ては伝わらない。だから歌(資料作成)ができるようになろう

・花とは新鮮さでもあるが、新鮮さ(面白さ)を出すためには隠すこと(秘すること)が重要であり、大したことないことでも新鮮さを表現することを意識すること

・偉い人がミーティングに遅れて参加した場合(将軍や天皇が遅れて来た場合)、空気を読んで構成を変えないと行けない  

 

その他気になった点

下記は役に立ちそうな教えのため、書き残しておいた

・25歳の頃の一時の花に溺れないように

・40歳過ぎても「花」を持つためには、つまり「枯れ木に咲いた花」になるには、35歳までちゃんとがんばりなさい

・都会の厳しい批評者の中にいないとダメになる

・初心を忘れるな(いつまでも未熟な芸である自分を忘れず、絶えず研鑽を積むことで、人の命には限りがあるけれど、能には限りが無い)

・「湿った」に花・優雅さが加わることで「しっとりした」という優美な表現になる。

・心を十分に働かせ、身体を7分動かせ

・目は前に、心は後ろに(離見の見)

・優美さを身につけることが名人への道(歌、曲などを身につける)

・老後に練磨する芸

・師匠の言うことを聞け

 

 

その他能の役どころ等の細かい話は、一度やらないとピンとこないから、体験してからまた読む必要があるだろう。(謡、舞、動作等)