若者は資産家ではなく職人に憧れる

 35歳は明確に若者ではなくなる年齢であり向き合わざるおえない

 35歳というのは若者とおじさんの境目だった時期を抜け、明確におじさんつまり中年になったということが言い訳できない年齢だ。自らこの年齢になってみるとなかなか心の整理が難しい。身体能力や顔や白髪で老いを感じ始め、性的能力でも衰えてきているのを感じる。そして昔のように一つのことに集中できない、何かが気になって集中できないようになってくる。20代後半なら仕事に全力投入すれば80%成功という感覚があるが、努力しても年収が増えなくなってきたり、お金が増えても幸せを感じにくくなってきたり、消費に飽きてくる。20代なら海外駐在に行くという同期の話を聞いて大体の人はうらやましがるだろう。しかし35歳だと違う。既にライフステージが異なる人がおり、子供が一番大切であり海外駐在は羨ましくない、自分のことだけを考えてキャリアを築いている人を子供に思う、今更感、等々状況が大きく違ってくる。僕の新卒同期も35歳で海外転籍の切符を得られそうになっているが、それを聞いていた同期三人はだれもがそこまで羨ましがっていなかった。これが若者ではなくなったことの象徴と言えるだろう。

 

 心の整理として若さに固執する選択はしたくない

 これに対する向き合い方の一つが若さに固執することだ。老いを実感し始めた時に急に筋トレや美容、過度な女遊びに興じることによって若いことをアピールすることや、若さを取り戻そうとすることだ。確かに若さを感じることはできるだろう、しかし実際に老いは止まらない。その路線では結局本当に若い若者に勝つことはできないし、若者が憧れることはない。当然若々しくありたいという思いや努力は悪いものではないし僕も取り組むが固執するのはいけないと考えている。なので違う心の整理に努めていきたいと考え、日々方向性を探していた。

 

 若者は資産家ではなく職人に憧れるので個人としての技量で人を感動させる職人を目指したい

 結論としては職人になる方向性だと思い至った。僕は年齢が離れている人同士では「親方と弟子」「師匠と弟子」「先生と生徒」といった関係に憧れを感じるためだ。このフレーズの中では「親方」「師匠」「先生」を目指すべきなのだが、全て個人としての技量がポイントであることが大切だとわかった。そして若者としての僕はもう一つの「弟子」「生徒」といった言葉は嫌いじゃない。35歳から目指す方向性として重要な基準は若者が憧れるかどうかで考えているので、僕はこの路線を目指したいと思った。

 

 金持ちになることは手段であり、金を持っているだけは虚しいので人を感動させることができる職人を目指したい

 もう一方の道として資産家になる道が想像できる。しかし金(資産)を持っている人は皆最後はなんとなく虚しさを感じ、どんな金持ちも家族が大事と語るという。これは金にあまり意味がないことを示していると思う。またお金をもっているからと寄ってくる若者ではなく、僕が接したいのは自身の技量やプロダクトに感動した若者だ。そして自信を感動させるプロダクトや技量を持った人に憧れとかっこよさを感じるだろう。

 例えばピアノを演奏している久石譲、作曲している久石譲任天堂ゲームクリエイター、華道の先生、司馬遼太郎、料理人、こういった職人に若者は惹かれる。なので僕は金儲けは好きだし金持ちにはなりたいが、最後は若者に尊敬されて憧れる生き方を実現している状態を目指したい。そのためには、ビジネスマンとして資産家を目指すだけではなく、この先20年は職人としてのキャリアも考えていきたいと思った。