妻が一時的に実家に帰り、世話をすることにすがっていた面があることに気がついた

 昨日から妻が実家に帰り、気付きがあった。

 最近つわりで妻の調子が悪いので昨日から二週間ほど実家に戻ることになった。妻の実家の気遣いで提案いただき、とてもありがたく今回はお言葉に甘えることにした。そして今日は妻のいない朝であるが、妻の世話をすることで充実していた、世話する忙しさで考えることから逃げていた、妻の世話があるので色々と行動できた、ことに気がついた。

 

 妻から必要とされることで、頑張れた

 僕は人から必要とされることが好きで、必要とされることで頑張れる人間だ。なので学んだこととかで役に立てると、他人を助けているようで自分が救われていることが多々あった。なので自分ひとりのための料理、洗濯、そうなってくるとめんどくさくなり適当になった。自分一人と対して変わらない家事を行うだけで結婚しているとパートナーに褒めてもらえるというのはとてもありがたいことだと改めて実感した。事実料理についても一人暮らしのときよりもこだわるようになった。

 若いときは仕事や勉強に一直線だから別に気にならなかった。しかし30代前半になると仕事から得られるドーパミン(高揚感)が少なくなり、仕事だけで生きるのは難しくなっていた。そうなってくると、日々の何気ない家事でも喜んでくれるパートナーがいることでめんどくさいとは思いつつも、救われている面があるのは間違いなかった。

 

 とはいえ、誰かがいないと頑張れないようでは自立していない大人である

 一方で自立することも大切で、パートナーや誰かがいないとしっかりできないようでは依存心が強く大人としてだめだと思う。そのため若いときは一人暮らしをして自分のためだけに頑張るメンタルセットを鍛えることが大切で、仮に将来一人になっても独立した個人として人生を生ききることができるようになっていることが大切だろう。