不遇な兄弟を持つことで天命のありがたさを信じれる昭和の心を感じた

 実家に帰り、祖母のエピソードを聞いた。人売りから買った11歳の娘を小作人として雇ったエピソードを聞いた。

 戦後あたりまでは子沢山が当たり前で兄弟は多いのが常だった。10人以上いる場合もある。そのような兄弟が多い、かつ乳幼児死亡率が高い、そして不況や戦争など自分がコントロールできないことで自分とほぼ同じ存在である兄弟間でも待遇に差がつく。夭逝してしまった兄弟、不況で養うことができず売り飛ばされた兄弟、学校に行きたくても行けなかった兄弟、病気で倒れた兄弟、戦争に行かざる負えなかった兄弟、そういった生まれたタイミングと偶然病気にならなかったことで人生が大きく左右された。

 そのコントロールできないことと向き合うことで、不遇な環境にあった兄弟は妬むこともあるだろうが、気概がある人は変わりになんとかしてあげようと貢献することもあるだとう。兄や姉が自分が行けなかった学校への学費を払ってあげたり、家に住まわせたり、そういった支援があったと思う。そして不遇の兄や姉は、早くになくなった兄弟姉妹や、病気でチャンスを掴めなかった兄弟姉妹の話をし、すごく恵まれていることを諭しただろう。

 そのような自分と似ている人(=兄弟)が自分のコントロール外の要素で不遇な環境に置かれている時、自分の運のありがたみを知り、そこに感謝と慎みという感情が産まれると思う。うまく行った場合、「たまたまです」という気持ちになるだろうし、辛いときも自分の力ではどうしようもなかった兄弟と比較して恵まれているのだから頑張ろう、という気持ちになれただろう。そして何かとても良いチャンスが来たときは、人の良心に感謝し、いつまでも感謝を忘れないだろう。そして支援する側も、何か目標を持って熱く努力を試みている人を助けたくなる。それは、自分ができなかったことを懐かしむような目もしてしまうような感覚だろう。

 しかし、幸運にも現代は平和な時代が続き、公衆衛生も向上してチャンスも平等化され、全て各個人の努力による自己責任論が蔓延するようになった。それは一面で正しいが、誰かを助ける、誰かに助けてもらうことへの感謝が減ってしまったように思える。コントロールできる要素が増えたのは間違いないが、それでもまだ残っている。自分の成功に奢らず、運が良かっただけ、なのでその分人を助けよう、そういったものが昭和の心なのだろう。令和の時代に失ったものの大切さが見えたような気がした。