国立を訪ねて、桐朋高校に進学したらと考えた

東京の高校と山梨の高校のどちらにするか悩んだ15歳

 僕は山梨の東側出身で高校受験では県庁所在地である甲府か東京西部の高校も視野に入っていた。その中で最も良い高校は早稲田実業、次に桐朋高校だった。僕の父は桐朋高校が憧れだったらしく、小さいことからよく聞かされており、高校受験のときになると自然と選択肢の一つとして考えた。

 正直桐朋高校は偏差値的に厳しかったが、もう少し下の高校であれば行ける可能性があったため東京西部の高校にするか甲府にするかで悩んだ。結局は東京の高校の説明会に参加したときに、東京に出ることにビビってしまい、兄が進学した甲府の高校に決めた。これは今でも人生の大きな分岐点の一つだったと考えている。中学時、高校時、大学時、でそれぞれ東京に出たタイミングで都会人としての身につく素養は大きく違うと思う。今では思い出すことも少なくなったが、僕は甲府の高校に進学したことを大きく後悔していた。最終的には悪くなかったが、それでも東京に進学していればと思ったことは多々あり、今でもふとした時に人生の大きな分岐点の一つとして考えることがある。

 

国立駅を歩き東京西部の高校に進学した未来が急に心に浮かんだ

 土日に国立駅の地図看板を見たときに桐朋高校が目に止まった。そして大学通りを歩き、どこかわからない高校生をすれ違ったときに「僕にもこの未来がありえたんだな」と急に感じることができ、東京西部の高校に進学した世界線が少し鮮やかに見え感情も湧いてきた。高校時代の三年間を東京で過ごすのも全然違うが、それ以降の35歳までの20年を大きく変え、きっと今とは全然違う全く想像できない未来に辿りついているのだろう。大学から先の大きな選択においては、別の選択肢を選んだときの未来はなんとなく想像できる、だけど高校で東京に出ていたらと考えるとその先は想像ではなく妄想になる。

 

人生を振り返る良いきっかけになった

 それは選ばなかった僕の人生の可能性であり、そしてそんな可能性がある人生だったことを教えてくれる体験だった。可能性がなくなったことの悲しみとともに望郷の思いや15歳の感情を思い出させてくれ、人生を振り返るとても貴重な経験となった。

 僕にはいろんな可能性があった。国立を歩く高校生はその僕のありえた一つの未来であり、もう完全に忘れていたと思っていた甲府の高校に進学してものすごく後悔した自分が急に心に浮かび、15歳の僕の泣くような悲しいような青春の思いを思い出させてくれ、人生を振り返る良いきっかけになった。

 たまにはこうやって過去を振り返るのも大切なことだと思うので、また行きたいものだ。