京都で元カノとお茶をした

 4連休は高校時代のバスケ部の友人の結婚式があったので、神戸まで結婚式に行ってきた。友人代表スピーチを引き受けたが、無事終わってよかった。かつて東大の学生代表として、北京大学の学生代表とスピーチ勝負をしたが負けたことがある。その相手のスピーチをしている僕にスキは無い。ちゃんと好評を博した。

 

京都で元カノに会った

 そしてインスタグラムに神戸の写真を上げたところ、元カノから連絡が来た。そして偶然にも京都でお茶をすることになった。以前は僕の31歳の誕生日だったので、二年半前になるだろうか。彼女には子供ができており、もう8ヶ月目だった。すでにTwitterやインスタでそんな気がしていたので、驚きはなかったが、とても感慨深いものだった。マタニティブルーも若干はいっていたのだろう、子供が生まれる瞬間に何かが変わる気がするといって泣いていた。「女性から母になり、女性、女の子、子供としても私が終わってしまうからだと思う」と言ったら彼女はうなずいて、「主役が変わってしまう」と言った。「僕にもそれはわかる。だから独身にしがみついているのだと思う。自分の人生をまだ諦めたくなくて、いつまでも主役でいたくて、子供でいるのを望み続けている」いうと、「男性もそうなんだ」と少し驚いたような表情を浮かべていた。

 彼女と話すのは相変わらずとても楽しかった。変わらず親友でもある。というのも、Beforeの海洋大学とAfterの東大の2つを知っているのはお互いに自分たちだけだ。そしてそれを知らないと共感できないことは確実にある。海洋大生にも東大生にもわかってもらえないなにかだ。それはある種の優越感で、結局は東大生になりきれないコンプレックス、そしてここまでこれた、来たという長い旅路の感覚だ。それは二人以外他の誰にもわかってもらえない。あのもがいてもがいた狭い世界に嫌気が指していた海洋大学から、東大、僕に関して言えば北京大学シリコンバレー。彼女はPh.Dを取得し、今や大学の助教授、学会賞も二回取っている。この激動の20代はお互いに想像できなかったし、二人で大いに青春をしたと誓って言える、

 そしてライフステージの話をした。そして諦めることの話が印象に残った。彼女は僕が博士課程に進学しても良いと言ったが、もうそのタイミングではないと答えたし、そう思っている。何歳になっても挑戦するのは当然素晴らしいが、そうは言ってもタイミングというものもとても大切だと思う。博士課程に行くのなら、ストレートに行くべきで、友人や世間体も全然違う。そして得ることのメリットも違って、20代で世界に揉まれることに価値があるのであって、30代であればビジネスでも世界に揉まれることはできる。そのためメリットも少ないと思う。

 

彼女の旅の果ては京都だった。そして僕も果てを探したい

 ライフステージが進むこと、進んだこと、それは「諦める」「何かを捨てる」ということだ。博士を取るタイミングが過ぎ、それは諦めるべきものだ。彼女はまだ研究をしているけれど、いつか引退して夫の仕事を手伝うかもと言っていた。それも研究を諦めることだろう。僕が見てきた彼女の10年にもわたる長い旅路の果ては京都だった。京都の御曹司と結婚することだった。旅路を終えるということは、旅を諦めるということだ。そう言うと、悪い印象にも思えるかもしれない。しかし、人はいつまでも旅をしてはいられない。

 むしろ旅は目的ではなく、答えを探すものだ。彼女の旅の答えを見つけ、それは京都だった。清水寺の高台で、京都の街内を見た時にそう思えた。おそらく彼女は十分に旅をしただろう。僕とは6年、別れてからも含めると8年は一緒に旅をしたから大いに人生を旅をしていたのは知っている。難しいのは、旅を十分にしないときっと後悔するということだ。早く結婚しても後悔するが、不完全燃焼も良くない。でもいつか答えは見つけないといけない。そして旅を終え、次の世代につなげる覚悟をしないといけない。

 彼女はPh.Dとった時に燃え尽きたらしい。学会賞をとり、更に燃え尽きた。海外でビジネスをやっていたがそれも違ったようだ。彼女は経営者になりたくても、現場仕事はスキでない。本人も全てやりきったから結婚に踏み切り、子供に目覚めたのだろう。彼女は間違いなく良い母親になる。大いに旅をしたのだから、不完全燃焼のわだかだまりを子供に押し付けることはないだろう。

 僕もそろそろ諦めて、旅の答えを見つけないといけないのかもと焦っている。いや答えを見つけたい。33歳独身の男性で自分にたいして、いい加減落ち着けという気持ちが湧いてきている。

 

 そして僕はもちろんまだ彼女のことが好きだが、この思いは来世だ。来世では結婚したいものだ。