将来残る仕事は「保険」と「娯楽」しかない。

昔角田さんに聞いたが、「ジャック・アタリ」は、将来全ての問題(病気など))解決したとき、二つの産業しか残らないといった。

保険と娯楽(エンターテイメント)の二つである。


産業(ビジネス)はあるニーズを満たすことでお金を得るが、病気等が解決されたとき、漠然と残る現在の不安と将来の不安の二つしか残らなくなる。
保険の本質は将来の不安をなくすもの、娯楽は現在の不安を忘れさせるものである。

私自身は人間の漠然とした不安はなくならないと考えており、人間は100%死ぬという事実が必ず不安を起こさせるものだと考える。
人間は死ぬ理由については、個人的に一向したい。
話は全然それるが、しょせん雑記帳なのでご理解いただきたい

 

なぜ人間は死ぬのか、生物学的な観点からの考察

この疑問は下記の問いに入れ替えることができるだろう。
「生物としての人間の目的を達成ために、死なない場合と死ぬ場合のどちらが効率的か」
生物のしての人間の目的は、種として生き続けることだ。
生物というのは、存続することが目的であって、それ以外の目的はないと思う。

それならば、生物としてではなく、人間固有の目的はあるだろうか?
「文明を発展させるため」とするのは、種としての存続を可能にするための手段であって、目的はないという意見がある。
個人的には、文明を発展させたその先の「究極的なもの」を作るために人間はいる、という遠藤周作の小説の一文が非常に好んでいるし、
そうあって欲しいと思っている。
その考えで行くと、「文明を発展させて、最後究極的なもの」を作るため、というのは人間という主としては目的となる。
しかし、今回は生物としての考察なので、こちらは今後の考察としたい。


「死ぬ」ことによって、生物は何を行うか?
それは「子孫を残す」という行為だろう。
自分は永遠に生きられない、そして種として永遠に存続しないといけない、そうすると自分の遺伝子を継いだ子孫を作る必要がある。
かつ、より強い子孫を作るためには遺伝子の多様性を上げる望ましいため、男性と女性を作った。


「死ぬ」ことによって思考停止から逃れることができる
「死ぬ」という前提は、人間に「思考」を促す。試験などで期限が近づきあわてて勉強し始めた経験は誰にでもあると思うが、
死ぬこともそれに当てはまるだろう。限りある時間だからこそ有意義に使うことを考える。
文明を発展させるためには、「人間は必ず死ぬ」という性質は貢献しているだろう。

人間不安はなくならない
「人間は必ず死ぬ」、かつ「死後の世界はわからない」。それは常に人間に不安を与えることを意味する。
わからないことが最も怖いからだ。

そのため、ジャックアタリは最後に残る仕事(永遠に残る仕事)は「不安をなくす」

仕事だと言っていたと推測する。

その不安を分析するフレームワークとして、「現在」と「未来」の両方について述べているのだろう。