「重慶大厦(チョンキンマンション)のボスは知っている」を読んで

 京都大学の人類学者が書いた「チョンキンマンションのボスは知っている」を読んだ。久しぶりにアカデミアの人が書いた本を読んで「これだよこれ」という感覚を得た。アカデミアならではの緻密な書き方がとても信用でき、かつフィールドワークを行っていることから現場の情報も多いという面白い本を書ける要素が多分に詰まっており、思わず思ってしまった。学者がフィールドワークをすると、現場の情報に加え文章の論理構成と分析が素晴らしいものになるのを改めて感じた。

 

 本の中で特筆すべきは、アフリカから香港に出稼ぎに来ている人のリアルな日常とビジネスだ。アフリカからなんとか労働者としてではなく平等なビジネスオーナーとしてビジネスを起こそうとする彼らはとても孤独な存在で、都会の真ん中で「これだけ人がいるのに自分は一人だ」という思いであったり、満月の下で輝く都会を見て「なんでおれは一人で頑張っているんだろう」と悩んでしまう姿に、アウェイで一人挑戦する若者の強さとたくましさを感じつとともに、羨ましいと思った。

 かれらが抱えているリスクは想像を超えており、難民認定、ビジネスパートナーの高跳び等々、日本では想像できないことが多々起きる。不法滞在のインドネシア人と同じ不法滞在仲間で子供を作ったり、IT化や経済発展とともに失われた日本人のたくましさが存分に描かれて、読み応えがある。不法滞在、または難民の状態で子供を育てると子供は両親のどちらの母国にもアイデンティティーを持つことがない。なので、妻を母国に送り返すところなど、想像も束なった。そして、香港で成功した際には、自分の母国に新しい妻を設けるなど、イスラム教ならではの金持ちになるインセンティブも強い。

 

 今までも日本が経験したとおり、勃興期の混沌とした社会で泥臭く生きていく人々の様子を記述した作品は多々あっただろう。しかし、2010年を過ぎでIT化とともに勃興する国は初めてであり、IT化が進んだ時代に先進国に不法滞在でどうにか財を成そうとする人々を記述した初めての作品だろう。素晴らしい作品といえる。

 

 以下気になった文言を書く。

・俺たちは真面目に働くために香港に来たのではなく、新しい人生を探しに香港に来た

・特定の相手を「信頼できる相手」と「信頼できない相手」と仕分けるより、「誰も信頼できないし、状況によっては誰でも信頼できる」という観点で相手が置かれた状況を推し量り、ひとたび裏切られても状況が変われば何度でも信じてみることができるやり方のほうが、不条理な世界を生き抜いていきやすい。

・貧しい国出身の移民は一般的に母国に残してきた華族や親族への送金や、帰国後の豊かな生活の実現のために出稼ぎにきているものだと理解されている。だが、カラマたちと一緒に暮らしていると、香港への移住と金儲けが、遠く離れた母国の人々のためだけでなく、また自分自身の将来の夢を実現する「プロセス」「手段」としてでもなく、香港での「いまここ」にいる自分自身と仲間たちとの生活のためにもあることを実感する。