近所の図書館に来て論語を読んでいる

以前より東洋思想に傾倒しているが、より学びたいと考えている。大学院時代の指導教官は常に原著を読め、口酸っぱく言っていたのを思い出し、原著を読みたいと考えた。原著は基本的に読むのが大変で、解説書を読んで満足してしまうことは多い。しかし、そういった厳しい原著に向き合うことが重要で、長い論理に向かい合うことから避けて教養を身につけるのはおこがましいとの教えを受けた。そして、今日は家の近くの図書館に来て以下の論語処を読んでみた。

https://www.amazon.co.jp/物語として読む-全訳論語-決定版-山田-史生/dp/4798701696/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&keywords=山田+論語&qid=1569129500&s=books&sr=1-1

 

本について評価すると、若干訳に無理があるようにも思えるが、作者も認識しているところである。

 

まだ半分ではあるが雑記。

 澆や舜のような過去に存在していた聖人を模範に、どうしたら同じようにできるかという考え方をし、実践的な教えがメイン。西洋哲学にある「〇〇とはなんだろうか」という心理を追い求めることは少なく、仁、礼といった思想の根本を成す言葉についても明確な説明はない。そもそも言葉で定義できるものでもなく、礼についても時代とともに慣習的なものもあり、そういう状態になることが礼であり、行為そのものを定義(説明できるようにすること)することに意味はない可能性もある。

 定義しないことにもメリットはある。議論が永遠に続き、思考停止にならない。加えて、無理に定義して正確性を欠くことはない。一方デメリットは、皆の意見がまとまらず、同じ方法を向くのが難しい。皆が自分なりの回答を探さないといけないため負荷が多い。言葉で教えることが難しいもので、態度や経験から理解するものとも思う。

 余談にはなるが、山岡鉄舟の本にある内容を思い出した。明治天皇が忠義とは何かを問われたとき、山岡を見ればよいと回答した。それと同じことを感じる。忠義とは心が中にあることである。そして山岡がそうだという言うことだろう。

 全体的に観念を定義することよりも心から生まれる感情を起点としているようにも思える。以前読んだ東洋思想の本も心を鍛えることが重要という結論になっていたため、納得感が持てた。

 コンサルティング業界という論理を深める世界にいた身としては、西洋思想に偏っていたと思う。学問も偏っていると思う。それをブレークスルーするためにも東洋思想に対して更に理解を深めたい。