高校生以来15年ぶりに制約がある不自由な身になった

先日結婚して新しい生活を始めた。今までと何が違うのだろうか?と考えたところ、一番大きい点は制約がついたことだと気づき、これについて書きたい。

 

大学生入学から15年間自由な生活を謳歌していた。

 15年前に大学に入学して以来、家族や友人から制約を受けることが少ない生活をしていた。大学時は、使えるお金が少ないという制約があったが、社会人になってからは特に大きな制約はなく、旅行にしろなんにしろ好きなときに好きなことをできるという状況が続き、それを当然と思っていた。

 

制約があるからこそ感動がある

 制約があり、それに大きな不満を感じていたのはいつだろうか、それは中学時代だと思う。携帯電話やインターネットといった技術も浸透しておらず、情報へのアクセスはとても少なかった。加えて、友人と遊ぶ際にも夜遅くまでは遊ぶことができず、不満を抱えていたことを覚えている。その中で、携帯電が出た時の衝撃や小学生の時に家を抜け出して街を歩いた時の背徳感も今でも覚えている。

 また僕の家族は遠出をしない家で、関東を脱出したことはなかった。中学の修学旅行で初めて京都に行った時の感動は忘れることができない。 

 こういう感情を揺さぶられた経験に共通するものは制約だ。夜遅くに外出できない、遠くにいけない、長年に渡るこういった制約があり、それに不満を抱えており、ある時それがなくなった時に開放感とともに感動を感じる。

 制約というと悪いように思えるかもしれないが、必ずしもそうではない。

 

制約によるストレスがイノベーションを産む

 制約が感動を生み出すメリットについて述べたが、他にもメリットはある。それはイノベーションを産む源泉となることだ。課題は発明の母という言葉があるが、制約は直接ないしは間接的に課題になることが多い。心臓移植が禁止されているという日本ならではの制約が人工心臓技術を発展させて事例があるが、このように制約があることによりイノベーションにつながることがある。

 

 

結婚という制約をチャンスにしていきたい

 僕は結婚によって新しい制約を手に入れた。最初はとてもストレスフルだろうし、実際ストレスフルだ。だけど15年ぶりに誰かと共同生活をすることで得るこのストレスは、中学時と同じようにきっと僕に新しい感動を与えるもとになるだろうし、イノベーションというほど大したことは起きないと思うが、制約があったからこそ生まれた新しい変化につながると信じたいし、そうなるように意識したい。