自分が死んだ先でも生きているように考えるためには、未来予想をするのが良いかも

 人間は様々な限界がある。デジタルはそのいくつかを解決し、距離を超えて、メタバースであれば土地を超えることができる。その限界は人間の思考に縛りを与えており、技術発展によって乗り越えてきた。しかしそれでも未だに寿命(Life span)という制約は人間に思考の縛りを与えている。例えば、投資一つとっても寿命によってスパンが決まる。自分が死んだあとを見据えた投資を行うことは難しい。

 これは死んだ先のことを実感できない(自分ごととできない)ことが原因だ。自分がいつか生きる先であれば意識できるが、200年後を意識するのは難しい。逆に、それを意識することができれば、死ぬことが怖くなくなるのではと思えた。つまり未来をわからないものとして諦めるのではなく、1000年後まで未来を見ることができれば、それは自分ごとにできるのではないだろうか。1000年後も自分は生きることとして考えることができるのではないかと思えた。未来は次の世代のものだ、だけど各時代の積み重ねだ。

 そして人間は情報を残したがっているという本能を踏まえると、死んだあとに情報が残せないが、自分が見えている世界を思えばそれに向けて取り組めるのではと思った。

 未来を予測して、自分ごと化して、1000年後も自分が生きているかのように選択・意思決定をし、生きていきたいものだ。