コンサルやめてそれなりに経ったことを実感した

コンサルから離れて久しく経った、もうすぐ3年になる。長くもないが、短くもない期間だ。僕の持論で「2年あれば人は変わる」というものがある。修士の2年で大きく変わった経験から自信をもってそう言える。逆に2年という月日は、それが過去になるのにも十分な期間なのだろう。

 さて、コンサルという業界には独特の用語がある。そのうちの一つに「答えるべき問い」がある。「答えるべき問い」とはなにかを説明するのは難しいが、「他の言葉で言語化できないこと=ちゃんと理解できていない」であるため言語化したい。僕の理解では「解決しなければならない点。なぜならそれを解決すれば、目的を達成できる要素」と考えている。ここまで書いて思ったが、これを掘り下げると「問題」と「課題」の差はなにか?「解決」とはなにか?等々、いろんな言葉の定義が気になってくる。これはコンサル病だ。

 具体例があった方がわかりやすいので、今の僕の課題である。頭が良くなりたい、という目的を例に検討したい。まず、これはどのような状態であるかしっかり決める必要がある。全ての論理は目的ありきだ。目的を実現するために合理的な方法を探すことが論理的思考といえる。まず頭が良くなりたい、というのは頭が良い状態になりたいということだろう。であれば、頭が良い状態というのは具体的にどのようなものか定義したい。頭が良さというのは相対的なものだ。そして何か基準が必要だ。例えば複素関数を理解している、という知識のありなしが事実としてあり、そしてそれを理解することが難しく、ほとんどの人は理解できないものであれば頭がよいと言うのだろう。一方でそういった難しい理論を理解できる地頭という観点がある。理解していることと、理解できる能力は別のことで、地頭は理解できる能力の方を指している。そして地頭は理解することを増やすことで鍛えることができる。なので地頭が良い人というのは、理解していることも多く、これば両輪の関係になる。

 ここまで書いて、答えるべき問いを考える大変さがわかっただろう。目的の定義、そしてなぜ今できていないのか、できてない原因の要素の中で一番影響が大きくかつ少ない労力でコントロールできることは何か?をつきつめて、ようやく答えるべき問がみつかる。

 さて、この「答えるべき問い」という言葉はとても有用だと感じている。ただコンサル以外では伝わらないため、この3年間使ってこなかった。そしてそのような用語を使わなくなることで思考の深まりが浅くなったと気がついた。常に「答えるべき問いはなんだろうか?」と疑問に思うことで、思考の抜け漏れがなくなる。その他にも「なぜ自分は今ここにいるんだろうか?」と常に自問するすことも有用だ。常に自分する質問を持つことはとても有用だと感じる。

 実は今深夜の特急電車にのってこのエントリーを書いている。何かの本で、飛行機の中が一番執筆に良いから、集中するためにわざわざ乗っている人がいるとあった。確かに空いている電車の中は集中できる気がする。少なくともブログは書ける。こういうふうに自分が集中できる環境を見つけることはとても大切なことのように思える、特に集中力が減った年令になるとなおさら感じる。

 経験からより多くの学びを得ることで自分のB/Sを最大化するようにしたい。この特急電車から得られる学びもそのようなものにしたいものだ。