喜びを感じる消費ではなく生産活動を見つけることが人生のポイント

 「良い消費者であるより、良い生産者でありたい」と思っている。最近Twitterなどで情報、宿泊施設、外食の情報を得て、コスパが良い消費を行っていると思う。しかし、そもそも消費で得られる喜びには限界があるのではと思うようになった。これは二年前にうすうす感づいていて、ラクーアスパ+ジムに加入していた時、週6で筋トレをし、温泉とサウナに入っていた。忙しくない仕事にまあまあの給料、そしてスパに入っても充実感を得ることはできなかった。これは消費に特化して、生ける屍であったからだと思う。その他にも、お腹を空かせたほうがご飯美味しく、疲れていたほうが気持ちの良い風呂に入れることから、疲れ切っている=生産がないと充実感を得ることができないことが感覚的にわかっている。

 また生産活動自体もうまくいったときの達成感、生産活動によって喜ばれたときの充実感、何かが学べたときの満足感、そういったプラスの効用は生産からしか産まれない。その生産の結果、お金が入り、消費に使い、充実感を得るが、根本は生産による高揚だろう。宝くじによる満足度は長続きしないし、満足度は高くないが、自力で主体的に築いた財産による満足度は高いし長続きするだろう。

 そうすると、次に考えたいのは、どのような生産を行うか。これは生産自体に喜びを感じる生産が持続可能で、人生も楽しめて良い。研究、勉強、プログラミング、等無数にあるが、トライアンドエラーしないとわからない。その点で現代はとても良い時代で、IT化が進んでトライアンドエラーがとてもしやすくなっている。副業であったり、クラウドであったり、リサーチであったり、個人でできることはとても増えており(とくに知的産業では顕著)、かつコストも急速に下がっている。その中で模索を繰り返すことで、仮設を検証して世界をより理解することができるだろう。

 過去を礼賛する人がいる。僕もノスタルジーは嫌いではないが、過去に戻りたいとは思わない。現代は素晴らしい時代で、これは自分ができる幅が広がっており、より世界を模索することができるようになり、世界を知ることができるからだ。

 なので僕は消費より、より生産に注力していきたいと思った。