一人の天才が作り出せるモノに魂がこもる。逆にその範囲内に収めるよう工夫しないといけない。

 僕はクラシック音楽が好きだ。一人の人間がこの複雑で感動的な作品を作り出せたかと思うと人間の可能性を感じざる負えない。ここでポイントなのは「一人」ということで、複数の人間が合議で不満が無いように作る作品であればここまでのものは作れないのではと思っている。皆の意見を踏まえることで当たり障りのない意見や作品になることは往々にして起きている。ただ、一人で作ってもアイディアが広がらず限界がある。

 都市を例にして同じ事例を書きたい。チェコの町並みは、一軒一軒建築家が心を込めた伝統的なヨーロッパの家なのでとてもキレイだ。だけど、全体としての町並みは誰も統制を取らなかったため、自然発生的な街にありがちな曲がりくねった道になっている。一方パリはナポレオン三世の下、凱旋門からきれいな統制された町並みを実現できている。音楽で例えるなら、チェコは音節音節は素晴らしくきれいかもしれないが、全体として調和はあるものの統制が取れていない(それはそれで味わいがあるが)。パリは統制と調和に基づくシナジーを生んでおり、一軒一軒魅力を足し上げたもの以上に街全体で魅力を高めている。この事例に対し、僕は一人の天才が全体を統制・管理・計画する大切さを実感している。

 とはいえ、パリの町並みを考えた人も意見は求めただろう。数学者も雑談や相談をすることは大切だと言っている。だけどオーナーシップも持たずになあなあで意見を集約したものを、全体戦略としてしまうと、ツギハギのキメラのようなものになってしまう。

 また人間には限界がある。クラシック音楽であれば大丈夫かもしれないが、都市計画や会社経営では、全ての情報を見るのは不可能だ。そういう人は、あえて暇な時間を作ったり、検討する範囲を狭めることも必要だろう。