良い意味で世界に驚くには、分厚い本を読むしかない

 インターネットが普及する前は、手に入る情報に限りがあり、知り合う人が偶然経験したことを聞くことに目新しさがあった。例えば、自らや知り合いの恋愛、家族のルール、変な友達、等々、新鮮さを感じることができた。これは本人の努力とは別に得られる、偶然性に依存した話であり、長く生きていれば多くの人が出会うものだ。こういった話を聞くと、「世界にはまだまだ知らないことがある」と楽しい気持ちになり、良い意味で世界に驚くことができる。こういった思いを感じることが他人と話す大きな意義であったが、インターネットによりこういった偶然性に依存する話が山程陳列するようになった。それにより、大体の人の話は「聞いたことがある」「もっとすごい話をしっている」となり、驚くことがなくなる。

 こういった偶然性に依存した情報が反乱する怖さは、どんどん過激になることがあげられ、感受性が壊れてしまう。そして、良い意味で世界に驚くことが、ものすごい偶然性に依存した事象である必要があるため、確率的にどうしても難しくなってしまう。といそうすると偶然性に依存していないことに向き合うしかない。それは何かというと、長時間かけないと理解できない知識だと思う。アカデミアが近い領域で、研究もよいが、手っ取り早いのは分厚い本を読むことだ。実際に読んでみると良い意味で世界に驚くことができる。世界はよくできている、世界には知らないことがある、こういった感覚を得続けるためにも、分厚い本と向き合っていきたいと思う。