味覚を失った経験を活かし自炊の料理に凝りたいと思った

味覚がない食事はただの作業だった

 以前の記事にてコロナにかかり二週間ほど味覚を失ったことを書いた。人は生きていくために食事をしなければならない。味覚を失うとその食事が全く楽しくなくなる。僕は麻婆豆腐と牛タンが好きで、コロナ四日目に食べたら味がしなくて食べるのが辛かった。ただ硬さだけを感じる牛タンとなんとなく刺激から辛さがわかる麻婆豆腐の味気なさといったらない。そういった食事を一日三回摂取するにはとても苦痛で、ただただ生きるためだけに行う”作業”なってしまう。

 作業は楽しいものではない。目的地のために歩くことはある種の作業だが、歩くことそのものに散歩のような楽しみを見出すこともできる。作業そのものを楽しめるような状態で取り組んだほうが絶対によい。食事も生きるための作業だが、食事自体から喜びや楽しみを見いだせた方が間違いなくよい。

 

食事は人に喜びを与えてくれる素晴らしいもので、美味しさを追求することで”作業”から離れていく

 食事そのものから喜びや楽しみを感じられるほど食事自体が目的となり”作業”から離れていく。そして食事は美味しければ美味しいほど喜びや楽しみを感じられる。であれば美味しい料理を作れるようになれば食事は作業ではなくなるだろう。

 そう考えることでおいしい食事をとることに興味を持つことができ、また味覚を失ったことから美味しさを感じられること素晴らしさを強く実感したので、美味しい食事に対してのモチベーションが高くなった。

 食事は日々の生活に彩りと喜びを与えてくれる素晴らしいもので、より充実した食事を得られるように料理教室にいくなりレシピを読むなり色々と取り組みたいと思う。